net exhibition 2015   文芸   俳句   葛山 由博 
 

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中日新聞「平和の俳句入選」


         作句の背景―「藍生・名古屋俳句大会締めの挨拶より」

平成二十七年の藍生俳句大会は「なごやか名古屋大会」ですと会合で聞き、東京と京都・大阪に挟まれ途中下車の町名古屋の立地と動員が心配だなと思いました。
大会のコンセプトは藍生主宰の黒田先生を中心にした、地方の私たちがお話を聞ける時間をたっぷり取りたいと事前投句制にし、その地方大会趣旨を徹底することとしました。
最終的に百十八人の参加となり、大きな事故も迷子の人もなく、本部と三重県や岐阜県の方の応援を得て大変感謝しています。

私は締めの挨拶として来年開催されることになった福島県に、バトンタッチをする話をしなければなりませんでした。まず名古屋の特徴はスパナとハンマーで物を作る町として紹介しました。
大規模な製造業が多く自動車、ジェット機、陶磁器等世界で活躍する企業が多く、その富の蓄えは先祖伝来名古屋城の金の鯱鉾となっていると話した時です。ふと机上に並べられた石牟礼道子の句集が目に入り、 「祈るべき天とおもえど天の病む 」という彼女の有名な代表句が浮かんできました。 私たちは戦後七十年で節目は変わったようなことを言っています。
私は戦後五十年の時は広島にいました。そのときも五十年で一区切りのような議論があり、一般市民の私でも会議の席上で「もうこれからは将来を見据えて…」などというような発言をしていました。

その時女性の部下から「私は被爆二世です。戦争は終っていません。」と静かに言われ、私は頭が大混乱しました。人の過ちで犯した大きな罪は五十年くらいでは消えません。七十年たっても被爆二世、三世と悲しみを背負う人たちの苦しみは永遠に続きます。被爆や水俣病等は私たち仲間が犯した問題であり、その責任も人類永遠に続くのです。四年や五年で福島の津波や原発事故の悲しみを総括できるわけがありません。

「ヒロシマ・ナガサキ、水俣、福島問題は私たちの世代だけでは終わらない人間の『生』の問題でしょう。東京の『人』も名古屋の『金』も広島の『悲しみ』も、みんな来年の大会地である福島に持っていき、皆で一つの日本を考えましょう。」  その舞台から降りる時にふとできた句です。